敗者復活の成功社長列伝


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敗者復活の成功社長列伝

ストロベリーコーンズ社長の宮下雅光さん(前編)

カフェの大型店が大失敗。生命保険で負債を返そうと、仙台新港に車で飛びこむ決意をする

ピザ宅配大手のストロベリーコーンズ。この会社を経営している宮下雅光さんには、先祖代々、経営者の血が流れている。親の浮き沈みを目の当たりにしてきたので、幼い頃から夢はサラリーマンになることだった。希望通り、日本IBMの社員として仕事をしていたのに、ひょんなことから退職して仙台に帰郷し、カフェの経営を始めた。その3店目が大赤字を食らい、倒産同然の状態に追い込まれた宮下さんは、負債を生命保険で返す算段をつけた。

宮下雅光(みやした・まさみつ)
1950年8月、北海道生まれ。日本電子工学院(現・日本工学院)卒。70年、日本IBM入社。75年、仙台市に帰郷。76年、コーヒー専門店を開業、78年、カフェの3号店をオープンし失敗。83年、日本シンクを設立。86年、アイスクリームショップ、ストロベリーコーンズをオープンし、社名をストロベリーコーンズに変更。同年、宅配ピザも開始し、87年よりFC展開を始める。以後、店舗展開を進めながらレストラン事業にも進出。03年4月、「いちごホールディングス」に商号変更。

鉄人28号やお茶の水博士に憧れコンピュータの道を志す

血は争えないという。宮下さんのご先祖は徳島県の出で、明治時代に神戸に移り灘の造り酒屋を開業した。「祖父は当時としてはハイカラなおじいちゃんで、地平線まで家の土地というくらい財産を持っていた。その財力に任せて戦前にスーパーマーケットのチェーンをつくろうとしたんです。しかも産地直送で売ろうと考え、北海道の富良野に山を買い、とうもろこしやアスパラガスを栽培していた」

戦争前にその事業が大失敗をして、戦後、一家が富良野の山に移り住んだ頃、宮下さんが生まれた。

祖父の息子である父は、親戚が経営していたクリーニングの会社に勤務し、その会社が仙台支店を開くときに支店長になる。同時に一家は仙台に移った。ところが父は結核を患って会社を辞めざるをえなくなり、病気から回復後、自らクリーニング屋を始めた。

この父も祖父の血を引いているだけあって、クリーニング業を営むかたわら、発明や新商品の開発に血眼になった。車の洗車機を日本で初めて開発したのも父である。ところが父は特許の申請をし忘れて、その開発技術を他人に持っていかれてしまう。そんな具合だから、事業はうまくいっては失敗するというパターンの繰り返し。余裕のある生活をしていると思っていると、ある日突然、赤紙を貼りに来られたりもした。

宮下さんが高校生の頃、父が保証人をしていた友人の会社が倒産をした。この友人は父に、たとえ倒産をしても債務保証をしてもらっていたお金は必ず返すと約束をしていた。とはいえ、父が自分で取り立てにいくのは気まずい。そこで宮下さんが父の代理として、毎月、数千円のお金を取り立てにいっていた。これらの体験から、宮下さんは事業とはどんなものであるかを肌で感じ、失敗を恐れない人間性を身につけた。

一方では、そんな体験への反動から人間不信に陥っていた。高校生のときには機械、それもコンピュータに興味を持つようになる。「幼い頃から鉄人28号や鉄腕アトムのお茶の水博士に憧れ、その延長でコンピュータの勉強をしたいと思いました」

同時に、血に逆らうように安定した生活を求めた。「母には泣きながら『お前はあんなことをやってはいけないよ』と言われていたし、人に将来の夢を聞かれると『サラリーマンです』と答えていましたね」

仙台の工業高校を卒業した宮下さんは、東京の日本電子工学院に入学。当時大学では、まだコンピュータを教えていなかったので、あえてコンピュータを学べる専門学校を選んだ。就職先を探す段になって、日本IBMを志望する。800人の応募者中、わずか2名の採用試験を突破し、20歳の宮下さんは、希望どおりトップ企業のサラリーマンになった。22歳のときには東京・佃島のマンションを購入し、23歳で高校時代の同期生だった育子夫人(現ストロベリーコーンズ副社長)と結婚する。

せっかく入社したIBMを辞めて仙台に帰郷

25歳のとき、仙台の母から毎日のように電話がかかってくるようになった。例によって父の事業が落ち込み、廃業せざるをえないという。借金取りが自宅に押しかけてくると大騒ぎをしている。宮下さんは何度も東京と仙台を行き来しながら、このままの生活は続けられないと思った。「技術の変化が激しくて数カ月に1回は研修センターで教え込まれるような生活をしていましたから、仕事と実家の問題の両方はとても手におえなかった」

宮下さんは、あれほど憧れていたサラリーマンを断腸の思いで辞めることにした。佃島のマンションは人に貸し、仙台に帰郷する。

ところが帰郷したら、すでに父は立ち直っていたのである。「工場を畳んでもう解決したよというんです」

やむなく宮下さん夫婦は、残っていた退職金の80万円を元手にして6坪の物件を借り、比絵呂(ピエロ)という名のコーヒー専門店を始めることにした。コーヒー専門店をやろうと考えたのは、親に「1日講習を受ければ、すぐに開業できるようだ」と言われたという単純な理由からだった。

この店の内装工事に300万円がかかった。「業者からその請求書を受け取ったとき『あっ、そうかあ』と気が付きました。それまではサラリーマンだったので、お金を使ったら会社が払ってくれるもんだと思い込んでいる。でも、自分で事業をやると、自分が払わなければならないことに気付きました」

お金はない。業者にお願いして50万円ずつ、6カ月で支払うように支払いを延ばしてもらった。とはいえ、月商60万円の店である。夜はお酒を出す店にして、売上げを増やし、2年間、夫婦で1日も休まず夜も昼も働き、ようやく300万円を支払った。

2年目には16坪36席の女性志向の店を開いた。ビルの3階だから、当時の仙台の街では無謀とも言える立地の店だ。最初は苦戦したものの、宮下さんはお客の呼び込みをやったりアイデアメニューをつくったりして、この店を繁盛店に仕立て上げた。

自殺をして、保険金の2億円で負債を返そう

やはり、血は争えない。宮下さんの企業家としての血が騒ぐ。3年目の78年には、50坪100席の3号店を開いた。チャーリーブラウンと名付けられたこの店は、親切な大家さんに担保提供をしてもらい、5000万円の資金をかけてつくられた。

「オープン当初は1日10回転しました。100席が10回転したのですから、1000人のお客様が来てくれたことになる。これは大繁盛だと思っていたら、3カ月目から客数が半減して大赤字なんですね。『うわっ、こりゃまずい』と思って、悪戦苦闘を重ねました」

最初はカフェテリアでやり、うまくいかないのでコーヒー専門店に変えた。次にはカフェバー、さらには店名を松の湯と変えて銭湯のような形式の居酒屋にして、最後はまたカフェテリアに。この間、8年間。いくら業態を変えてみても成功することはなかった。

一方でこの8年の間には、パンケーキの店やハンバーグの店も出し、これらは成功した。83年からは、パーティーグルメという名のケータリングサービスの店も開始する。

しかし、図体の大きい3号店の赤字が大きくのしかかる。84年には負債が1億6000万円に増え、大幅な債務超過に陥っていた。個人の預貯金や簡易保険はもちろん、子供の学資保険まですべて解約しても焼け石に水だ。

「実質的な倒産状態です。こんな状態になると、いまなら破産をするでしょう。でも当時はいまと違って、破産したらもう人ではないというような扱いをされる時代でしたから、とても破産はできない。親類縁者からも、お金を借りたり保証人になってもらったりしていてがんじがらめです。どうにもならないと考えていたとき、ふと自分が入っている2億円の生命保険が頭に浮かびました。俺の命は2億円か。それが入れば1億6000万円の負債も消えるし、個人の住宅ローンも払えるな。妻と息子は悲しむだろうが、泣きながらもなんとか暮らしてはいけるだろう。会社も残るから、社員や彼らの家族も路頭に迷うことはない。それがいい。わが人生に悔いなしだ」

悲観的になったわけではない。むしろ宮下さんは、これが最も現実的な解決策だと考えたのである。経営者は大抵、まさかのときのために2億円くらいの経営者向け生命保険に入っている。私も入っていたものだ。それを経営者の命の値段と考えられなくもない。「車にもカーローンが付いているから、どうせなら車ごと借金も海に沈めてしまおう」

宮下さんは車を駆って、仙台新港へと向かった。

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