敗者復活の成功社長列伝


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敗者復活の成功社長列伝

久喜市議会議員の須藤充夫さん(前編)

第二次ベンチャーブームを代表する企業をつくりあげたのに、急ぎすぎて行き詰まった

倒産社長の代表的な復活の仕方は、事業家として再度会社を立ち上げるというものだ。しかし、再起業をすることだけが復活の仕方ではないだろう。倒産を機に、自分の生き方を見据えて、別の路線を歩む生き方もあるはずだ。須藤充夫さんは、80年代の第二次ベンチャーブームを代表する会社を立ち上げて倒産。倒産後は、埼玉県久喜市の市議会議員になった。事業家から政治家へと立場を変えて、見事に復活を成し遂げた人物である。

須藤充夫(すどう・みちお)
1944年3月、栃木県足利市生まれ。中野高等無線電信学校卒。計測器メーカーの東京電気精器に入社。仕事で東京工業大学の研究室に通い電気・電子工学の知識を得て、65年、勧業電気機器を設立。86年、倒産。89年、久喜市吉羽土地区画整理組合の理事長に就任。91年、久喜市議会議員に当選し、以後4期当選。96年以降、土地区画整理の管理ソフトを開発して販売。

倒産する日に堂々と訪ねてくるなんて、ニセモノに違いない

86年7月10日。会社が不渡りを出して倒産する日の朝、須藤さんは九州松下電器の取締役工場長を訪ねていた。台湾にある子会社の、売上げの7割を占める顧客である。「私が社長をしている勧業電気機器は今日倒産します。でも子会社は、これまで通りきちんと磁器ヘッドをつくって納めますから、今後も継続して仕事を発注してください。お願いします」

工場長は、須藤さんとは初対面だった。彼は話を聞きながら何度か席をはずし、念のために本社の専務に電話をかけていた。「いま、今日倒産するという勧業電気機器の社長が来ています」

「バカ、そりゃニセモノだ。今日倒産するという会社の社長が、のこのこと出向いてくるはずがない」

「いや、間違いなく本人ですよ」

こんなやりとりを交わしながら、工場長は須藤さんに対する信頼を厚くした。「倒産するその日に、こうして堂々と今後の仕事を依頼しにくるとは、責任感の強い腹の据わった男だ」

須藤さんが倒産もやむなしと決断したのは、10日前の6月30日のことだった。第二次ベンチャーブームを代表する企業ともてはやされた勧業電気機器も、このまま行けば倒産だ。倒産が見えているなら、余力があるいまのうちに閉鎖したほうが周囲に与える迷惑も少なくて済む。

そう決めた須藤さんは、債権者の数を減らすことと自分の生きる道を確保することが大切だと考えた。債権者の数を減らすには、数が多い小口の債権者に債権を支払わなければならない。小口の債権者とは、約300人の従業員と約150件の小口の債権者たちである。まず従業員には、事前に会社を閉じると挨拶をした上で、退職金を25%増しで支払うことにした。7月10日までの給料も前払いをする。5万円、10万円、20万円といった小口の債権者たちには債権をすべて支払い、渡していた手形も回収した。

自分の生きる道を確保するという点では、九州松下電器に対する対応が鍵を握る。というのは、台湾の子会社がまだ生きていたからだ。この会社は600人の従業員を抱えている。主な顧客は九州松下電器だ。この会社が生き残れば須藤さんはここと連携して仕事ができるから、なんとか生き抜いていける。倒産する日に九州松下電器に足を運んだ背景には、こんな思惑があった。

須藤さんが考えたこれらの倒産処理対策は、見事に成功した。「債権者の数を減らしたおかげで債権者が自宅に押しかけてくるようなことはまったくなかったし、倒産後も妻が社長になっていたセイシンという会社で台湾の子会社に材料を売ったり、製品ができたらそれをお客さんに売ったりすることができたから、倒産後の3年間で2億円を儲けることができた。おかげで、経済的に困窮させられるようなこともなかった」

倒産の翌日、九州から埼玉県久喜市の自宅に帰宅した須藤さんは、なにげなくテレビのスイッチを入れた。「するとボンと、自分の顔が出てきたのには驚いた。NHKのニュースで何度も勧業電気機器の倒産を報じていたんだよ」

当時高校3年だった次女は「私、大学に行くの諦めるよ」と言った。しかし、須藤さんは、家族が生活に困らないように、妻に数千万円のお金を渡してあった。そこですかさず「大学に行け」と次女を励ました。

ホール素子やシートコイルモーターが大成功を収める

須藤さんは栃木県足利市に生まれた。中学を卒業後、東京の中野高等無線電信学校で学び、計測器メーカーに勤務。営業マンとして出入りしていた東京工業大学で、大下正秀助教授と親しくなり、助教授が研究していたホール素子について学ぶことができた。ホール素子というのは、インジウムとアンチモンの合金を半導体の基盤に膜状にくっつけたもので、磁界を電圧に変えるセンサーの機能を備えている。

須藤さんは、このホール素子を実用化しようと勧業電気機器を立ち上げた。弱冠21歳である。立ち上げたといっても、お金はない。他社の営業代行の仕事をしながらお金を蓄え、事務所を開いたのが3年後の24歳のときだった。東京神田神保町にある、わずか3坪(9.9㎡)の事務所である。このあたりは、最近の若手起業家たちと共通するものがあるだろう。

須藤さんはホール素子の機能を利用して、ガウスメーターを開発することにした。ガウスというのは、磁界の強さを表す単位で、当時はドイツのシーメンス社がつくっている1台300万円の輸入品しかなかった。須藤さんはホール素子を使って、70年に7万5000円で販売できるガウスメーターをつくりあげた。この製品は特許庁長官賞を受賞した。

その後、10坪(33㎡)の事務所に移った頃、東京都立西高校の教師が須藤さんを訪ねてきて「ガウスメーターを1万5000円で売ってほしい」と言う。材料だけでも2万円かかる製品だから、その値段ではとても売れない。しかしその先生が、フレミングの右手の法則を教えるのにどうしてもほしいと言うので、教育に役立つならと考えた須藤さんは中古品を無償で提供した。

するとこの先生が、NHK教育テレビでこのガウスメーターを紹介してくれたのである。これがきっかけになり、ガウスメーターは文部省(現文部科学省)が認定する教材機器として採用されることになった。

ガウスメーターが売れ出したら、旭化成から引き合いがきた。製糸工場で糸の太さのばらつきを見つける検知器や、自動車が衝突したときにエアバッグを膨らます装置にホール素子を利用したいので共同開発をしようという話だった。日立製作所からも注文がきた。レコードプレーヤーのモーターにホール素子を使いたいという依頼だった。

76年の第二次オイルショックの影響を受けて、一時受注が冷え込んだものの、78年には日立がビデオテープレコーダーにホール素子を採用してくれたので、業績は持ち直した。ホール素子の生産量は月産5万個、10万個と増え続け、ついに月産100万個に達した。その後勧業電気機器は旭化成と協定を結び、ホール素子の販売権、特許、製造権やノウハウを旭化成に譲渡し、20億円の利益をあげた。

工場を建設し、わずか2年後に倒産

ホール素子の販売権や特許を旭化成に譲渡したあと、今度は日立製作所から、変わったコイルがつくれないかという打診があった。モーターの内部では芯に銅線を巻いたコイルが回転している。そのコイルのことだ。そこで須藤さんが考えたのは、コイルをシート状(平面状)に積み重ねて同じ働きをさせようというものだった。それができれば、薄いモーターができる。須藤さんはこれを「精密シートコイル」と名付けて開発に取りかかった。

研究開発を続けること2年。ようやく製品化に成功した。81年の秋には新聞でも大きく報道された。商談も次々に舞い込む。そこで須藤さんは、群馬県に土地を買い工場を建設しようと計画を立てた。

勧業電気機器は未上場企業として初めて、大蔵省(現財務省)の認可を受けて、工場財団組成という財団をつくった。シートコイルとそれをつかったモーターの工場をつくるための財団で、日本長期信用銀行(現新生銀行)が幹事行。この財団が募った投融資に都市銀行や生保、ベンチャーキャピタルがこぞって手を上げ、30億円を集める計画に対して300億円の申し込みがあった。

「10倍では多すぎるので減らしてほしいと言ったら、どこも稟議を通しているので減らせないと言います。そこで、みんな公平に3分の1ずつに減らしてもらいました。全部で100億円ですね。内訳は、ワラント債が30億円。都市銀行などの協調融資が50億円。その他の銀行から20億円です。この資金を使って、84年に1期工事、85年には2期工事と一気に工事を進めて、工場を建設しました」

この過程で行き詰まった。資金が潤沢だったために、急ぎすぎたのである。本来なら、1期工事を終えて工場の人たちがしっかりと稼働するようになってから2期工事にかかるべきだった。ところが現実には、1期の工事の足元が固まらないうちに2期の工事へと突っ走ってしまった。ワンマン経営だったので、助言してくれる人もいなかった。

受注にも大きなばらつきがあった。大きな受注をすると、人員をそちらに割かなければならない。1期工事の工場ではコイルを2期工事の工場ではモーターをつくることになっていたのに、コイルの工場担当者が急きょモーターの手伝いに駆り出されたりしたため、人材は分散し、生産ラインは混乱した。これではしっかりした仕事はできないし、借りたお金も返せない。銀行は掌を返したように須藤さんに個人保証を求めてきた。

「そのほかにも、周囲にはいろんな陰謀があり、そんな情報も私の耳に入ってきた。86年に入ってからは私の給料を無給にしてがんばりましたが、先は見えなかった。それならば、資金的にも余裕があるうちに閉鎖したほうがいい。ここが潮時だと判断しましたね」

第二次ベンチャーブームを代表する勧業電気機器は、こうしてあっという間に倒産した。この後須藤さんは、どんな経緯を経て、政治家に転進するのだろうか。

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