浪速の体育会系ターンアラウンドマネージャー宮内です。
今年も元旦の朝は5kmほどのランニングからスタートしました。
いかなる時も体が資本!
と思っているスーパー筋肉ナルシストですからねー(笑)
さーて、新年一発目のネタは「経営はアートだ!」でスタートです。
某クライアントの経営会議での一幕。
社長、専務、取締役という面々に、私も参加しての開催でした。
大きな課題である財務面、銀行対策で侃侃諤諤の議論を展開。
一服の後、製造現場の課題に入ったのですが、
どうも現場と社長の認識が一致していません。
議論が微妙にすれ違う感じです。
ちょっと気になりましたので、
「ところで社長、製造現場はどこまで把握していますか?」
と問いかけてみたところ…
社長「組織、役割、責任は全て自分が把握しているし、
指示も随時出している」という、さすがやり手社長らしいご回答!
しかし、私としてはどーも釈然としません。
というのは、製造現場から
「いつも社長は他を飛び回っている」という話を聞いていたからです。
つまり社長は「俺は現場をしっかり管理できている」と思っているのですが、
製造現場では「社長は俺たちの事を見てくれていない、
何も判っていないのではないか」と疑念を持たれているのです。
これは「どっちが正しい」という問題では片付きません。
経営者と現場が互いにどう認識しているか?という
組織的コミュニケーションの問題です。
大変高い技術力のある会社なのに、何と勿体ない事でしょう。
これでは将来、強みである生産現場の能力が低下するのでは?と危惧します。
ではどうすれば、この状態を改善していけるのでしょうか?
多くの社長から聞く言葉「うちの社員は…」
と社員の資質をなじるようでは、何の解決にもなりません…。
このような場合、
私は社長が社員に接する姿勢が、最も重要と考えます。
小論はあくまでメルマガですので、
その理論エッセンスを組織論的に説明したいと思います。
1.「権限受容説」の徹底
・上からの一方的な命令を、部下は容易には受容しない
・命令や指示が効果的に部下に伝わるには、
部下が命令や指示を受け入れなければならない
・つまり命令が命令たるか否かを決めるのは、
部下であって発令者ではない
私が昔暗記させられた、理論の一節ではこうなります。
「ここで権威とは、公式組織(会社)における命令の性格であって、
それにより組織の構成員が、伝達を自己の行為を支配するもの
=すなわち構成員がなす事やなさない事を決定するものとして、
受容するのである」
(バーナード)
社長が「ちゃんと指示した」と思うのはあくまで個人の勝手です。
その指示か部下に受容されたか否かまで、
社長は見通す必要があります
2.「節制の精神」の発揮
・リーダーや社長は、敢えて社員の目線合わせて交わる必要がある
・社員のやる気を喚起させる為、
社長は節制の精神=社員との交わりを持たねばならない
これも私が昔、暗記させられた一節ではこうなります。
「貴族(社長)が何ら高貴を装う事なく人民(社員)と交わり、
人民と同じ服装をなし、人民をして彼らの全ての快楽に
参加させるならば、人民はその微力である事を忘れる」
(モンテスキュー)
「上が何勝手な事言うとんねん」という状況では、
現場は上手く回りませんよね。
いかがでしょうか?
「俺はこうやっているんだ」という社長が思う事実も大事ですが、
それ以上に社員にどう思われているか、
という感覚の方が企業経営には大事な場面があると思います。
「えらい曖昧な話やな」と思う方も多いでしょう。
その通りです!
組織論の大家C.I.バーナードもこう言っています、
「経営はアートだ」と。
言葉で表しつくせない経営=アートの
お手伝いをさせていただきたいと思います。