本号は、感動した本のご紹介です。
それは、
第10回本屋大賞受賞作『海賊とよばれた男』は、硬派な経済歴史小説
との見出しで、下記の説明文が日経トレンディネットに掲載されています。
『海賊とよばれた男』は、
出光興産の創立者・出光佐三をモデルとした長編小説。
上巻380ページ、下巻362ページの大作だ。
国岡鐡造という男性が、日露戦争や関東大震災、
世界恐慌、第二次世界大戦、オイルショックなど激動の時代に
石油業界で生き抜いていく95年の生涯を描いている。
「日本にこのような血のたぎる男がいたのかと思うと身震いする」
「国岡鐡造の熱い生涯に心打たれた」
「日本中の大人の人が主人公の鐡造みたいな人間だったら、
日本も変わるんじゃないかなと本気で思った」
「日本人が自信を無くしている今こそ読むべき」など、
書店員のコメントからは主人公の生きざまに
強く感銘したようすがうかがえる。
もともとこの小説は、
モデルとなった出光佐三や戦後の日本を復興させていこうとした
人々の生き方を忠実に伝えたいとの思いで百田が書いた作品。
「初めて『今書かねばならない』という使命感を覚えて書いた、
僕のなかでは特殊な作品でした。
もしかしたら、それが書店員の方に伝わったのかなと思います」と、
本屋大賞受賞後の質疑応答でも明かしている。
そんな話題の書を読みだすと、
洲山もあまりの面白さと手に汗握る出来事の連続で
一気に読み、睡眠不足になりましたが、
何とも言えない感動が沸き起こります。
まだ石炭が花形産業だった時代に、
石油に限りない将来性を見出した主人公の国岡が、
既得権にまみれた油業界で法の隙間をかいくぐり大活躍し、
国内の業界で締め出されるや何と、
海外での活路を見出し、中国大陸で活躍する。
大英帝国などの植民地支配が強かりし時代に、
世界の石油業界を揺るがす大事件を敢行する胆力と
それを実行する勇気ある部下たち。
また、幾多もの困難に見舞われ国際的な裁判や
拿捕されるリスクをとりながらも、
国岡がゆるぎない信念と決断力を示して乗り越えていくエピソードが、
すざまじい迫力をもって、次から次と展開。
本当に、でっかい男がいたものだと感動します。
「海賊とよばれた男(上・下)」百田 尚樹、講談社
海賊とよばれた男 上/
そんな中でも驚くのは、出光興産の出発は、石油業界に勝負をする出光佐三に
日田重太郎という資産家が莫大な資金を支援したこと。
それも別荘を売ってお金を作り、投資ではなく、
「おまえに、あげる」の一言で巨額な資金をプレゼントしたというのです。
日田曰く
「なあ、とことんやってみようや。わしも精一杯応援する。
それでも、どうしてもあかなんだら-」
日田は優しい声で、しかし力強く言った。
「一緒に乞食をやろうや(上p230)」
出光佐三は、何度も倒産しそうになりながら、油を改良し、販売先を探して
遠く満州、朝鮮にまで販路を伸ばしいていきます。
何度も危機を迎えますが、銀行が融資で出光を支えています。
当初は、出光をよく思っていなかった銀行幹部までもが、出光佐三に会うと
その魅力や、消費者重視、社員尊重の経営思想にふれると
この男を応援することが銀行マンとしての存在意義と
思わしめる魅力だと思われます。
戦後も、無一文から千人の社員を一人たりとも首にせずに、事業継続します。
それには、涙ぐましい全社員の努力の賜物と
その人間尊重の経営思想と社員の働きぶりと
それを一糸乱れず統率する国岡のリーダーシップに魅力を感じ、
応援せざるを得ないと判断した銀行の応援で立ち直ります。
海外メジャー、役所、業界のすざまじい抵抗を受けながら、
民族系石油会社として、備蓄タンク、製油所を建設し、
タンカーを購入していきます。
首尾一貫しているのは、日本国家のために、
国民のために石油を安価に安定提供すること。
出光佐三語録、
・「愚痴をやめよ」・・・
「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからといって、
大国民の誇りを失ってはならない。
すべて失おうとも、日本人がいるかぎり、
この国は必ずや再び立ち上がる日が来る(上p16)」
・ガソリンがなければ、車に乗らないで、歩けばいい。
足はそのためにある。灯油が足りなくてストーブが
使えなければ、外套を着ればいい・・いちばん大事なことは
日本人の誇りと自信を失わないこと。(下p348)」
・五十年は長い時間ではあるが、私自身は自分の五十年を
一言で言いあらわせる。すなわち、誘惑に迷わず、妥協を排し、
人間尊重の信念を貫きとおした五十年であった、と(下p291)
ところで、ワコールの創業者である偉大な経営者の塚本幸一社長が、
労使紛争で悩んでいた折に出光佐三翁の「人間尊重」の講演を聞いて
解決策を見出した有名な話があります。
出光には、タイムカードもなく定年もない、人間尊重経営を貫いており、
その思想に感銘し、従業員を徹底的に信頼する経営に、
塚本社長は舵を切ったのです。
ワコール社史に、1962年(昭和37年) – 労使交渉で満額回答を出す。
と、1行謳われていますが、その陰にはドラマがあったのです。
大概、値切られるのを想定して高めのベースアップや
昇給要求を出す労働組合の要求を満額で回答したのですから、
びっくりしたのは労働組合側でした。
そこで、塚本社長の信頼に応えるためにも、
会社を人件費UPの労務倒産させないためにも
懸命に働き、増収増益を見事に達成した歴史的な出来事でした。
出光佐三翁とは、スケールが違いますが、
洲山も信念を持った生き様を貫き、
世の中にお役に立ちたいとの想いを強くしました。
本や講演を聞いて、人生が変わり好転することがあります。
洲山の本や講演・セミナーを受けて「笑顔と勇気」を貰いました。
と、言って貰えるような世界を目指します。