洲山コンサルタントコラム

どん底から脱した経営者たちの物語 月刊復活 第一回

月刊復活とは、株式会社喜望大地と
株式会社ザメディアジョン・エデュケーショナルによる
インタビュー企画です。

経営・人生のピンチを見事に脱し、今輝いている経営者に、
どん底から復活までの秘話を対談形式で伺い、
本誌・メルマガ・DVDにてお届けします。

*<タイトル>2度倒産するも東証一部上場を果たす*

「月刊復活」記念すべき第一回のインタビューは、
株式会社ニイタカの森田千里雄会長に依頼しました。

同社は、1963年の創業以来、利益確保の困難から
2度の倒産に追い込まれています。

しかし、幾多の困難を乗り越え、2015年に東証一部上場を果たしました。

どん底から見事なまでの経営成長の秘訣は何だったのか、
そのリアルなエピソードを伺いました。

*兄の会社を助けたい!反対されながらもソ連へ留学*

洲山編集長(以下、洲山):貴社の生い立ちは、
6人兄弟の一番上のお兄様が経営する会社の不採算部門を
切り離すような恰好で始まっています。

ソ連の大学で化学を学ばれた会長のキャリアも面白いですよね。

森田会長(以下、森田):戦後、長兄がソ連の抑留者となり、
厳しい環境下だったにも関わらず、良い意味で感化されて帰国しました。

長兄から聞く話への興味と、留学中の経済援助が受けられる点が魅力で、
ソ連の大学を選びました。

父も高齢で負担をかける訳にはいきませんでしたから。

また当時、長兄が経営していた新高油脂から9人が外へ出て
新しい会社を設立しましたが、専門知識を持つ社員は1人だけでした。

私が大学で技術を身に付けて、兄の会社を助け、
延いては社会の役に立ちたいという志がありました。

留学も珍しい時代に、おまけにソ連ですから反対ばかり。
でも、決断に迷いはなかったです。

*固形燃料の開発に成功*

洲山:給与の代わりに〝新高小切手〟を発行したり、
勤務後に全員でアルバイトをされていたとのことですが、
従業員の方からの反発はありませんでしたか。

森田:当時は、夫婦で働く従業員もいて、一定の収入があり、
多少の遅延は許容してくれました。

社会情勢的にも厳しい時で「潰れてしまうよりは、まだええな」と。
創業初期の製品は原価率80%程度で。

無名の零細メーカーですから、融資してくれる銀行もなく、
高利貸で資金調達するしかない。

当然雪だるま式に借金は膨らみ1度目の倒産。

そんななか、固形燃料〝カエン〟の開発に成功、
これは利益がとれました。

今日では、当時盛んだった団体旅行が衰退し、
固形燃料の需要は減少しましたが、外食で再び盛り返し。

今でも60%以上のシェアを誇っています。

*取引先の傘下で事業継続*

洲山:高利貸への依存では余計に自分の首を絞めることになりますね。

とはいえ、支援者に恵まれたのは幸いです。

森田:高利貸での資金繰りでは経営は火の車。

融通手形を儲かっていない企業間で回し、結果、
暴力団介入一歩手前まで追い込まれたのが、2度目の倒産でした。

九死に一生を得たような形で、
米山薬品工業株式会社の傘下に入ることになりました。

取引先で損が出たという話になると信用にキズが付くと
社長も考えられたのでしょう。

傘下といっても、独立した事業として生産と営業は変わらず自分たちで行い、
売買は全部同社を通すことで原材料の購入も安定しました。

原材料の仕切り価格はかなり高額に設定されていましたが、
今となっては笑い話です。

「森田さん人脈があるんですか?」なんて聞かれる
ことがありますが人脈なんかありません。

ただ非常に良い方が周りに多く、比較的深い付き合いができた、
ということなんでしょう。

洲山:米山薬品工業の経営危機の際には再建に尽力され、
四国工場を売却して協力されています。

円満独立の後、着々と拡張された、と。

森田:時間が前後しますが、オイルショックのとき、
仕入先が原料を公平に分けてくれました。

世間では洗剤がない時期に、予定通り納品できた実績が買われ、
そこで築かれた信用をもとにして売上が増えていった
タイミングでつくば工場をつくりました。

洲山:年商30億のときに20億の工場とは思い切った投資だったのでは。

それから10年経って、次はびわ湖工場ですね。

森田:一か八かみたいに周りからは見られたかも知れませんが、
それなりの勝算はありました。

びわ湖工場の基礎もそこで作れたと思います。

ただ減価償却をどうしょうかと。

見かけ上は赤字にはできないので、
減価償却を定率にするか定額にするか、
本当に決算の間近まで考えていました。

*理念に沿った行動ができるか*

洲山:今年で創業55周年ですが、
印象に残るエピソードがあればお聞かせください。

森田:実は鳥飼工場ができた翌年、
隣にある田んぼの稲が変色しまして、これはえらいことや!
と米を買い取り分析しました。

固形燃料の主原料であるメタノールは出てこなかったので、
その米は売ったのですが、
稲の変色する田んぼの場所は工場から離れていたので私は腑に落ちず、
実験をすると固形燃料の主原料であるメタノールで
変色することが分かりました。

そこで、工場内でメタノールを回収するクローズドシステムの
開発を提案しました。

しかし、「そんな金どこにあんねん!」と経理に言われる始末。

経理責任者としては至極当然の意見だとは思います。

それでも当時代表だった兄が、
「それはやらなあかん、金はどこからか工面してくる」と言い、
設置することが叶いました。

ニイタカの経営理念は〝四者共栄〟です。

〝取引先とユーザー〟のお役に立ち、
〝株主と会社〟に利益をもたらし、
〝社員とその家族〟を幸せにすると同時に、
〝地域社会〟にも貢献し、社会に信頼され、
発展する企業でなければなりません。

稲の放置は、理念に反しますよね。

洲山:読者のなかには、過去の貴社と同じように、
苦境に立たされている方も多くいらっしゃいます。

会社の成長には何が必要とお考えですか。

森田:やはり経営理念を徹底的に追求していくということが、
一番大事だと思います。

当社がこれまで度重なるトラブルに屈せず、
回り道をしながらでも成長することができたのは、
経営理念や社訓に忠実だったから、
といっても過言ではありません。

経営理念は企業の羅針盤のようなもので、
これから進むべき道を示してくれます。

基本的なことですが、理念を掲げ、浸透させ、守りましょうとお伝えしたい。

理念が明確だと、たとえ困難に遭遇しても選択を誤ることはないのですから。

森田 千里雄(もりた ちりお)

株式会社ニイタカ 代表取締役執行役員会長

兵庫県猪名川町出身。県立伊丹高校、モスクワ民族友好大学卒業。

1968年、大学卒業後、新高化学株式会社に入社。

主に、製品開発、設備導入、工場建設の指揮を執る。

2004年、三代目の代表取締役社長に就任。

企業風土の改革を進めるとともに、マイソフトコンクに
代表される環境にやさしい三方良し製品を世に送り出した。

2013年より現職。

著書に「どん底企業から東証一部へ――
2度の倒産から東証一部上場を果たした企業の成長の要諦
(2018/4/5 ダイヤモンド社)」がある。

社名   株式会社ニイタカ
資本金  5億8,519万円
設立   1963年4月
代表者  代表取締役社長 奥山吉昭
社員数  255名
売上高  156億円
本社   〒532-8560大阪市淀川区新高1-8-10
営業拠点 東京・札幌・仙台・名古屋・大阪・広島・福岡

<事業内容>

業務用洗剤・洗浄剤・漂白剤の製造販売、固形燃料の製造販売、
食品添加物(殺菌料)の製造販売、医薬部外品の製造販売、
業務用厨房機器の販売・レンタル、化粧品原料の製造
(社員数および売上高は2017年5月時点)

 

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