洲山コンサルタントコラム

負債50億を5年で完済 門外漢が守った百年企業

負債50億を5年で完済 門外漢が守った百年企業

「月刊復活」第三回のインタビューは、
全国各地で国家的プロジェクトを手掛け、
橋梁や鉄塔の塗装工事では国内トップクラスの
実績を持つ磯部塗装株式会社。

四代目となる磯部武秀社長は27歳の若さで、
自らの意志で負債50億円を背負う決断をされました。

業界未経験の新参者にも関わらず、
どん底から僅か5年後には借金完済。

驚異的な成長秘話をどうぞ。

*倒産1ヶ月前に開催された100周年記念パーティー*

洲山編集長(以下、洲山):創業111年を迎えた貴社ですが、
創業者の方は社長から言えばどのようなご関係でしょうか?
元々社員ではなかったということですが。

磯部社長(以下、磯部):私は4代目で、創業者は曾祖父に当たります。

創業期のメインの仕事は橋梁の施工でした。

その後、東京タワーや日本初の鉄橋の余部鉄橋にも関わり、
今でもメンテナンスを続けているものだと明石海峡大橋が有名でしょうか。

先代社長は伯父で、父が専務という立場なんです。

将来的には何か力になりたいと漠然とは思っていましたが、
すぐに家業を継ぐつもりはありませんでした。

大学時代に起業し、26歳まで7年ほど経営者としてIT業界におりました。

新高輪プリンスホテル・飛天の間で盛大におこなわれた
100周年記念パーティーも、「大したものだな」と
半ば他人事のように眺めていたほどで、
まさか倒産寸前だったなんて微塵も感じませんでした。

*詐欺が原因で2回の不渡り 本業を守るべく事業譲渡*

洲山:そんな豪華なパーティーから、3ヶ月の間に2回の不渡り。

大変なのは目に見えていたと思いますが、
それでも新社長に名乗り出た経緯を教えてください。

磯部:当時の売上160億円のうち、塗装工事業が60億円、
副業で始めた塗料販売が100億円。

その副業で50億の債権が回収できないというのです。

調べて見ると循環取引という一種の手形詐欺で弊社も被害者でした。

しかし、債権者は待ってくれない。

本来であれば法的整理で簡易型の再生をすれば済んだのかもしれません。

先代は本業のみ子会社に事業譲渡し、
商号を変更する私的整理で再生する道を選びました。

とはいえ社長が決まらず、時間だけが過ぎていく。

そこで裏方として参加していた私が
「私でよければ」と手を挙げました。

父も驚いたでしょう。ムチャをしている自覚はありましたが、
当時は失うものもなかったですし、いずれは家業の役に立ちたかったので。

*実質破綻扱い 待ったなしの改革を強行*

洲山:著書では6重苦と称された就任時、
事業譲渡はその後裁判にまで発展したとか。

磯部:一気に発注停止になり、売上は1年で半分まで減りました。

金融機関からも引当が99%まで積まれている状態で、
鬼のような督促の日々。

職人が来ない、材料が仕入れられない。

社員も優秀な人材から辞めていく。

そんななか事業譲渡の否認請求の裁判ですよ、
判決は30億円払えというもの。

想定以上の金額でしたが、弁護士からも
「これは引っくり返せる類のものではない」と。

事業譲渡の時点で一番問題だったのが、本業自体が赤字だったんですね。

スポンサーを入れて法的整理なら判決は違ったかもしれないのですが、
後の祭り。

兎にも角にも、利益体質への改善を最優先しました。

情報をオープンにし評価基準を変え、売上偏重主義者はリストラ。

わからないことは積極的に聞いて回り、ディーラーにも助けて
もらいながら1年弱で黒字化が実現しました。

社長就任から5年は銀行の力を借りることなく経営し、
前会社から引き継いだ(本業に関する)13億円の負債も完済。

銀行の評価も変わりました。

*帝国データバンクの評点で日本記録達成*

洲山:いい物件や設備投資があれば長期のローンで、
それもある程度安い金利で借入もできるくらいに復活されたんですね。

磯部:銀行の評価ってこっちではわからないんですけども、
帝国データバンクの評点がすごくわかりやすくて。

50点前後が標準のようですが、私が入社する前は52.3点。

入社して一気に33点まで落ちて、3年半で50点まで戻りました。

このペースは日本記録だそうです。

今では63点くらいかな。

貸出の金利も0.6%まで落ちています。

でも、そもそも再生する中で金融機関に頼らない資金繰り体勢にしたので、
余程急激に売上が上がらない限りは、借入を起こせなくても困りません。

今年は東京都信用金庫協会さん等が主催する
「優良企業表彰式」でノミネートされた55社中、
2位で東京新聞賞を受賞しました。

金融機関さんとのお付き合いがいらなくなるのに評価されるという(笑)。

洲山:本社が手狭になったとおっしゃっていましたが採用は順調ですか?

磯部:人員削減した時期に比べたら3倍近くに増えましたね。

嬉しいことに離職率は殆どありません。

見て覚えろとか先輩の技を盗めでは続かなくて当たり前。

弊社は、いわゆる暗黙知的なものを形式知にしたOJTの
補助ツールを開発しました。

項目は数百に及びますが、教える方も基準に則って教えられますし、
教わる方も質問しやすい。WEB管理で同期の進捗も見ることができ、
お互いに高め合える利点もあるんです。

*復活するためには鎧を脱ぎ捨てよ!*

洲山:今後の展望をお聞かせください。

磯部:会社としては5年後に100億円を目指しています。

大体80億円までは数字が見えていますので、
残りの20億円を既存か新規か、M&Aかを構想中ですね。

他には、同族経営からの脱却でしょうか。

ずっとこのポジションで居ようとは考えてなくて、
私自身も次の挑戦をしたいなと。

社内にも野心的に上を目指せと言っていますので、
よりやる気のある人間が5代目になってくれたらと願っています。

洲山:今まさに辛い経営状況の社長が
「復活」するには何をすべきでしょうか。

磯部:悪習を断ち切るための基準を明確にすることだと思います。

そのためのデータ分析は欠かせないのではないでしょうか。

磯部塗装の場合、利益意識が抜けていましたので、
利益を基準にした結果、 去るべき者は去って残るべき者が残りました。

組織の新陳代謝が起こったんですね。

それから、不安なことも含めてオープンにする!

同業者を見ても、みんな社長だからと抱え込み過ぎる傾向があります。

私は業界未経験からいきなり負債50億円の社長に就きましたから、
堂々と頼りました。

そうやって開けていく道もあることを是非知ってほしい。

人を頼ると、頼られる機会も増えるものです。

助けていただいたら誠意を持って恩返しをする。

周囲との関係性を強固にしていけば、
どんな苦しい状況も乗り越えられる、
私はそう信じています。

磯部 武秀(いそべ たけひで)

磯部塗装株式会社 代表取締役社長
1982年、静岡県静岡市生まれ。

27歳のとき、100年続く塗装会社の4代目社長になる。

そして、50億円もの負債を抱えることとなる。

倒産が確実視されていたが、年商50億円の会社へとV字回復させた。

著書に「周りが自然に助けてくれる人の仕事術: 27歳で借金50億を抱え、
5年でゼロにした私の「透明貯金」(合同フォレスト)」がある。

社名:磯部塗装株式会社
資本金:8,500万円
創業:明治40年6月20日
代表者:代表取締役社長 磯部武秀
従業員数:175名
売上高:51億
本社:〒136-0071東京都江東区亀戸7丁目24番5号

<事業内容>

1.橋梁製作会社工場内での橋梁・鉄骨の塗装工事
2.鉄道橋・道路橋及び高速道路の塗装工事
3.鉄骨・鉄塔・プラント設備等の塗装工事
4.建築一般塗装工事、ビル・マンション・住宅等のリニューアル工事
5.機械式駐車装置塗替、防滑処理工事
6.防水・ライニング・床工事
7.アスベスト関連工事
8.塗料及び建設資材等の販売
9.電気・電子部品、電子機器の販売、ケーブル加工品の販売
10.電気工事、情報通信工事、光ファイバー工事

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