令和元年おめでとうございます!
約30年前の昭和から平成に代わる時代は、
昭和天皇がご病気で、「歌舞音曲かぶおんきょく」の
自粛ムードが長く続き、お祝い事や記念式典などが、
自粛となり、世の中が暗かった思い出があります。
今回は、譲位による御代替わりなので、
『令和』を歓迎ムードの中で、
厳かに退位の式典や即位の式典が公開されて、
国民がこぞってお祝いムードでしたから
良かったと感じています。
昭和28年生まれなので、終戦後の貧しい時代背景を
知っていますし、
一家にTVが無い時代に、力道山の活躍を近所の方々と
一緒に見ていた思い出があります。
高校3年生の受験シーズンは、大阪万博が開催されており、
親戚に居候しながら、万博会場に通った思い出もあります。
昭和50年に大正13年祖父が創業した家業に就職し、
年商1億円の家内業から28年かけて50億円まで拡大し、
ベンチャーキャピタル4社から約2億円の出資を受けて、
IPOを目指すも、調子に乗りすぎて、
負債30億円を抱えて、破綻のピンチに陥り、
組織再編とM&Aによる事業再生を体験しました。
ジェットコースターのような人生ですが、
50歳を迎えて、0からのスタートではなく、
マイナス30億円からの再スタートをするのに際して、
自分の挫折体験から学んだ事業再生ノウハウを生かす、
「事業再生家」として開業の決意をしました。
幸い、第二の人生は艱難辛苦を乗越えて軌道に乗り、
大阪本社と東京本部の2拠点で、全国区の活動を展開しています。
また、娘3人も負債30億円のとんでもない父親がいるにも拘らず、
勇気と愛情あふれる良縁に恵まれ、長女夫婦は同居し
スープの冷めない距離に次女・三女ファミリーは新築し、
孫6名の子宝にも恵まれて、一家集合すると14名の賑やかな大所帯です。
事業再生コンサルティングからスタートし、
その後、事業承継やM&Aでもサポートできる体制が構築出来て、
今後は、相続に関するサポートもメニューに追加して、
お役に立ちたいと願っています。
私洲山も、事業承継をする年齢に達したので、
後進の育成と悩める社長の救世主としての活動を
令和12年(2030年)の喜寿の祝いを現役で迎えたいと決意し、
孫の結婚式には、自分の足で歩いて参列する個人目標を設定して、
健康に留意しながら、生涯現役の人生を
明るく! 元気に!! 前向きに!!!
生きる決意をしました。
令和の時代もよろしくお願いいたします。